sakura fujiwara 10th anniversary

Greeting. 10周年イヤー、
新しいものが
生まれそうな予感

振り返って愉快で恵まれた10年間でした。

中学生の時、福岡の実家で「通りがかった誰かが聴いててくれないかしら」と歌っていたわたしの歌を、東京のスタジオで素敵なミュージシャン達とレコーディングして、たくさんの人がいろんな形でそれを手伝ってくれて、そのCDを誰かが手に取って、各地にわたしの歌を聴きにきてくれて、それで今ご飯が食べれてるなんて冷静に考えて夢みたいです。

音楽をするんだ!と思っていなかったら、誰にも出会えていないと思うと、あぶな!!!と震えますが、なんだか全員と運命的に出会ったとも思えます。嬉しい楽しい以外の、辛いも悲しいも全部意味がありました。

そして時に音楽は「別にこれは当たり前じゃないからね」とわたしに問いも投げかけてくれます。じゃあどうしたら良いかしらねと毎日問答を続けるしかないようですし、それもまた楽しい日々です。10周年イヤー、1年かけてまた新しいものも生まれそうな予感。

まだ未知だらけの道半ば。願わくば一生このまま夢の続きを見ていたいです。本当に何から何まで応援してくれるみんなのおかげであります。ありがとう!まだまだ引き続きお付き合いよろしくお願いいたします。

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藤原さくら、10周年イヤー最初の新曲が到着!

Digital Single “Angel”
6.18 Release

前作アルバム『wood mood』を共に作り上げたジャズドラマー・石若駿と再びタッグを組んだ本作は、さまざまな音色とリズムが交差しながら、心を満たすような多幸感を生み出している。

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Interview

藤原さくらインタビュー ──10周年を迎えた藤原さくらが語る「今の自分」とこれからの音楽

デビューから10年。シンガーソングライターとして独自のスタイルを築きながら、俳優やラジオパーソナリティとしても活動の幅を広げてきた藤原さくら。数々の出会いと挑戦を重ねるなかで、今改めて感じる音楽への向き合い方とは? 10周年イヤーの展望とともに、これまでの歩みと現在地を探る。

──まずは、デビュー10周年を迎えた今の心境を聞かせてください。

正直あまり実感が湧かなくて、どんな10周年イヤーになるのか自分でもまだ掴めていないのが本音ですね(笑)。ただ、活動を続けていくなかで「一人じゃ絶対にできなかったな」と思うことばかりです。スタッフやファンの皆さんがいなければ、人前で歌うこともできません。本当にありがたいし、とても幸運なことだと感じています。

──デビュー当時は、福岡から上京したばかりだったのですか?

高校を卒業し18歳で上京して、デビューしたのは19歳の時でした。最初の1年は友だちもいなくて、暇すぎてずっと図書館で本を読んでいました(笑)。

──「デビューした」と実感したのは、どのタイミングでした?

それもよくわからないんですよね。当時すでにインディーズで『full bloom』を出していたし、「メジャーとインディーズで何が違うんだろう?」みたいな感じでピンときていませんでした。一番大きな変化を感じたのは、「Soup」をリリースしたときですね。メジャーデビューから1年後のことだったのですが、あの曲をきっかけに音楽番組に出演するなど、それまでとは違った規模の世界に突然飛び込むことになりました。会場の規模も一気に大きくなり、必死に対応しようとしていました。でも、あまりにも新しいことばかりで、ほとんど覚えていないんです(笑)。もっと味わえたら良かったのですが。

──音楽的にも大きく変化し、進化してきた10年でした。

この間、ラジオでリスナーの方がメールを送ってくれたんですけど、「ここからここまでは◯◯期、ここからは△△期」みたいに、私の音楽を時期ごとに分けてくれていて。確かに、振り返るといろんな試みをしてきたなと思います。『SUPERMARKET』(2020年)や『AIRPORT』(2023年)のように、「やりたいことを全部詰め込みました!」という作品もあったし。『green』や『red』(ともに2018年)のmabanuaさん、『wood mood』(2024年)の石若駿さんのように、ひとりのプロデューサーとじっくりコンセプトを固めながら作った作品もありました。

──そういう意味では、本当に素晴らしいミュージシャンと出会ってきた10年とも言えますよね。

SPECIAL OTHERSのYAGI&RYOTAさんや、origami PRODUCTIONSの方々、Yasei Collectiveさん、石若さんを始めとするジャズ界隈の皆さんには本当にお世話になりましたし、どのツアーもすごく楽しかったです。全国のライブハウスを回ったツアーでは「Twilight Hot Guys」というバンドを組んだこともありました。それぞれ毛色がまったく違う活動だったからこそ、得るものも多かった。

いろんな経験を積むなかで、「自分にはこういう要素もあるんだな」とか、「ここから新しいものを取り入れられるな」と気づくことが増えました。こうしたコラボレーションを重ねることで、自分の音楽の幅もどんどん広がっていったと感じています。

──優河さんとの出会いも大きかったのではないでしょうか。一緒にパーマネントユニット(Jane Jade)を組むというのは、これまでの藤原さんの音楽史の中でも特別なことですよね。

優河さんは、まず人としてすごく好きなんですよ。最初は本当にただの「ファン」としてラジオで曲を流したのがきっかけで関係が始まったわけですし。気づけば一緒に音楽をやるようになり、そのぶん力が倍増するというか。一人で作る楽しさもあるけど、誰かと組むことで思いがけない場所へ行けることもある。だからこそ、Jane Jadeの活動は面白いなと思います。

──音楽活動と並行し、俳優としてもキャリアを重ねてきました。

『ラヴソング』(2016年)に出演したのが、私にとって初めての演技経験でした。佐野さくらは吃音の女の子で、しかもバイクに乗るしタバコも吸う……あまりにハードルが高すぎて、最初は「無理じゃない!?」と焦りました。実際、本当に怒涛の日々でしたが(笑)、それでもやってみて良かったと思っています。

──それは、どうしてですか?

まず、たくさんの人に自分のことを知ってもらえました。それに、共演した大先輩の福山雅治さんが、一人の人間としてフラットに接してくれて、話す機会も多かったんです。ドラマの現場では、「すごい世界にいるな……」とずっと思っていましたね(笑)。

──福山さんも、音楽だけでなく多岐にわたるジャンルで表現をされていますよね。

福山さんをはじめアミューズの先輩方を見ていると、長く続けるってすごいことだなと改めて感じています。福山さんは音楽も俳優業も続けながら、さまざまなインプットを自分の表現に活かしている。その姿に大きな刺激を受けました。

最初は、「私は音楽をやるために東京に来たんだ!」という気持ちが強くて、演技は「歌を歌う役だったからできただけ」と思っていました。「自分とは違う誰かになりきるなんて、絶対に無理」って。でも、その後、劇団☆新感線の舞台でまた歌う役をいただいて、それがきっかけで「演じること」についてもう一度向き合うことになるんです。そこから少しずつ、演技活動も再開していきましたね。

──ミュージカル『ジャニス』への出演も、藤原さんにとって大きな経験だったのでは?

『ジャニス』はとても刺激的で楽しかったですが、非常に難しかったですね。架空のキャラクターであれば解釈の自由度が高いですが、オデッタとベッシー・スミスという実在のアーティストを演じる上で、単なる模倣ではなくその人物の本質をどのように体現するか……彼女の個性をどこまで再現しつつ、どこから自分の解釈を入れるのか、そのバランスを模索することにも苦心しました。

ただ、この作品を通じてソウルミュージックに対する理解が格段に深まりました。特にニーナ・シモンに強く惹かれ、彼女の楽曲を掘り下げるきっかけにもなったんです。その影響が『wood mood』でのカバー(「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」)にも繋がっています。

──そうした多岐にわたる活動を、すべて自分自身の音楽活動へと還元しているのも藤原さんの強みなのかなと。

そうなればいいな、と思っています。すべての経験は、最終的に音楽に繋がると確信しています。時間がかかっても、それぞれの点がいつか線となる瞬間がくると思うんです。目の前のことに振り回されず、長期的な視点で物事を捉えることの大切さを、これまでのキャリアの中で実感してきました。

──ラジオも長く続けていますね。

デビュー前からラジオに関わっており、現在も『HERE COMES THE MOON』を続けています。ラジオは単なる発信の場ではなく、自分にとっては大きなインプットの場でもあります。普段の音楽生活では、どうしても自分の好きな曲や興味のあるジャンルに偏りがちですが、ラジオをやっていることで、「この音楽をもっと深掘りしてみよう」と新しい発見が生まれることが多いんですよ。それが毎週あるというのは、非常に恵まれた環境だと感じていますね。

──ゲストをお呼びするときは、その人について事前にリサーチする必要もありますし。

そうなんです。それが自分自身の知識の蓄積にも繋がっています。音楽に関わる活動はすべて相互作用があり、ラジオも例外ではありません。アウトプットの場でありながら、新たなインプットの機会でもあり、そのバランスが心地よく続けられる要因のひとつになっているのかもしれませんね。

──昨年末からコラムの連載も始まりました。執筆活動を通じて、どんな変化がありましたか?

デビューした頃から、ずっと文章を書きたいと思っていました。歌詞とはまた違う、もう少し肩の力を抜いて書けるような「場」が欲しかったんです。ラジオをやりながら「ポッドキャストをやりたい」と思ったのと感覚は近いかもしれません。始めてみると、たくさんの方から反響がありました。最初は「こんなことを書いたら心配させちゃうかな」と迷う部分もあったんです。でも実際に書いてみたら、ファンのみんながまるで友達のように思えてきて。「格好つける必要もないし、無理に取り繕わなくてもいいのかも」と思えるようになりましたね。

──この10年間で、特に大変だったことは?

コラムにも書きましたが、コロナ禍が明けた後、耳と発声の調子が悪くなりました。「なんで?」って思いましたね。こういうことを言うと「大丈夫?」と思われるかもしれないけど、自分自身が2人いて、もう一人の自分が勝手に嫌なことをしてくるような感覚。でも、「いや、そんなことないのかもしれない」と思えた瞬間があって、それが本当に嬉しかったです。

──それは、どのような気持ちの変化だったのでしょうか。

うーん、言葉にするのが難しいんですけど、「すべてのことに意味があるのかもしれない」と思えたというか。例えばお腹が痛くなるのも、外敵から自分を守るための、身体の防衛反応だったりしますよね。そう思うと、身体ってとても正直なものだなって。活動を続けていく中で、「こう言ったほうがいいのかも」「こういう自分が理想なのかも」と無意識に作り上げた「虚像」のようなものが、自分の中で出来上がっていたのかもしれない。そこまで自分のことを「作っている」という意識はなかったつもりでしたが、それでも「こうありたい」という気持ちが強くなりすぎていたのかなって。

──なるほど。

その経験を経て、自分に対し「本当に?」と問いかけることが多くなりましたね。「それ、本当にやりたいの?」「今は曲を作りたくないんじゃないの?」とか。「今、本当にライブをしたい?」と自分に問いかけたとき、「いや、今はやりたくないのかもしれない」という答えが返ってくることもあるかもしれない。「やりたくなったときにやるのが一番正しいのかもしれない」って。

もちろん責任を持ってやらなきゃいけない部分はあります。でも最近は、「もっと楽に、無理なく楽しむ方法があるんじゃない?」と考えるようになりましたね。頑張りすぎなくても、もしかしたら同じくらいの結果を出す方法があるんじゃないかって。これからは自分の身体の反応を、ちゃんと見逃さず向き合っていこうと思っています。

──さて、今年はアニバーサリーイヤーですが、どんな1年にしたいと考えていますか?

今はオリジナルアルバムを制作中で、レコーディングも順調に進んでいます。これまでとは違うアレンジやミックスに挑戦しながら、『wood mood』の流れをさらに発展させるようなアプローチを模索中です。来年の初めには完成できたらと思ってます。それとは別に、洋邦楽どちらも自分なりにカバーしようと考えています。

もちろん、エッセイの連載も続けていくつもりです。書くことの楽しさを改めて実感していますし、これも大切な活動のひとつ。ライブも徐々に再開していきます。去年の年末に少し復帰しましたが、また間が空いたので、今年はワンマンライブも再開やりたいですね。

── プライベートでは、今年挑戦したいことややってみたいことはありますか?

やりたいことが多すぎて、12ヶ月で足りるのかな……(笑)。まずは、また海外に行きたいですね。できれば1ヶ月くらい。曲作りも順調ですし、今のスケジュールなら実現できそうな気がしています。あとは、漢字検定?(笑) 今年、漢検を受けようと思っていて。

── 漢検はまたどうして?

仲良しの上白石萌音ちゃんと、「何か検定受けたいよね」みたいな話をしていたんですよ。そこから「漢検受ける?」という話になり、なんとなく勉強を始めました(笑)。特に目的があるわけではないんですけど、年々漢字が書けなくなってきているなと感じていますし、そもそも漢字って奥深い世界じゃないですか。すごく興味が湧いて、今は準2級の勉強をしているところです。

── なるほど、語彙も広がりそうですね。

そうなんですよ! 日本語の曲を聴いていても、「なんでこんな言葉選びができるんだろう?」って思うアーティストがたくさんいて。とても憧れますね。

── 藤原さんには、「おばあちゃんになっても歌い続ける」という目標があります。それに向けて、準備しておきたいことなどありますか?

この10年だけでも、予想もしなかったことがたくさん起こったんですよね。以前、占い師に「あなたは波があるタイプです」と言われたことがあるので、きっとこれからも波乱万丈だろうなと(笑)。でも、波があるからこそ大切なことに気づけるのかもしれない。これから先も、その都度自分と向き合いながら、歌い続けるために必要なものを見つけていけたらいいなと思っていますね。

──自分の声に従うことは、簡単そうで難しいですよね。

とにかく、自分に正直でいることが一番大事なんじゃないかなと。「大丈夫、できる」とか、つい自分に言い聞かせてしまうことってありますよね。ただ、自分の場合は怠けたい気持ちが紛れていることもあって、それを見極めるのが難しい(笑)。「本当に今は休むべきなのか? それともただのサボりなのか?」と。その都度、自分の気持ちをちゃんと確かめる作業が必要なんだと思います。

適度に休みつつ、自分なりのペースで制作を続けることが大事。何より健康が一番ですからね。やりたいことがあっても、体調を崩したら何もできない。大人として、社会人として、責任を果たしながらも自分自身と向き合い続ければ、この先10年後、20年後も歌い続けられるんじゃないかなと思っています。みんなにも、それぞれのペースを大切にしてほしいですね。

インタビュー・文 : 黒田隆憲

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